考えるという「病」

パスカルは「人間は考える葦である」と言いました。 人間は他の動物のように強い身体能力を持たないけど、考える力が人間を強い生物たらしめているというような意味でしょう。

それだけ我々人間は考えるという習性を強く持った生き物です。 考えぬくことで、科学技術を発達させ、よりよい制度や医療技術、教育方法などを作り上げています。 また困ったことが起これば、解決策を作るために考えます。
しかし有害な「考える行為」もあるのではないでしょうか? 私たちは不安になるとその根本を突き止めようと考えます。 失敗すると、どうしてそうなったのか、自分の何が悪かったのか考えます。 うまくいかないと、誰のせいか、どうしてうまくいかないことばかり続くのか頭をひねって考えます。 時にはそうしたことで眠れなくなり、疲労してしまうこともあります。
果たしてこうした「考える」という営みは、私達にとって有益でしょうか?
私はそうは思えません。
考えても結局原因はわからないことが多く、わかっても解決につながらないことも多いのです。 また、考えれば考えるほど自分が恥ずかしくなったり、誰かが憎くてたまらなくなったり、ひとつもいいことがないからです。
人間が生きていく上で、不安はつきものであり、なくなることはありません。 不安がありながら開き直って生きていったほうが、実り多いのです。
私の敬愛する精神科医の帚木蓬生先生は、その著書「生きる力 森田正馬の15の提言」の中で、不安について考えることの無益さ、外界を見つめること、今必要な行為に没頭しすること、心理状態よりも外側を整えることなどの重要性を説いています。 日本には日本独自の心理療法・森田療法というものがあり、森田正馬先生はその創始者であります。 森田療法の考え方は、今を生きる我々にこそ必要な知恵を教えてくれます。

帚木蓬生著 「生きる力 森田正馬の15の提言」朝日新聞出版

※ 写真は、不自然な姿勢で考えている、院長の愛猫・金時