子供でも生きる力を

2006年のある冬の日。私は茫然としていました。

この日、治療活動の一環としてクリニックに通う子供たちを集めて豚汁を作り食事会をしていたのです。子供たちはとても喜び、中には「初めて食べた。こんなにおいしいの食べたことがない」という子までいました。私はその子の家族背景が複雑で、親から十分なお世話をしてもらっていないことを知っていました。その子は困ったような顔をして答えました。「うちにお味噌なんかない。お味噌なんか買ってきたら『役に立たないもん買ってきて!』って叱られる。安いカップラーメンしか買っちゃだめだって」

そんな親たちを「親の資格がない」と批判するのは簡単です。しかし多くのこうしたケースを見ていると、問題は全く違うことにあることが多いのです。こうした親たち自身が知的障害や発達障害で、貧困も絡んで十分な生活技術や社会適応のスキルを学んでいないことが少なくないのです。

もしかしたら一昔前ならば、こうした大人も貧しいながらも地域のコミュニティのなかで、周囲と支え合いつつ、その中で子供たちもケアされていたかもしれません。いまやこうした家族は都市の中で孤立して、親が苦手なこと・できないことがそのまま子供に振り掛かり、そうした子供に継承されていきます。やがてこの子たちも十分スキルが身に付かないまま、安定した就職もできず、望まない妊娠、子育てをし、同じような家族が拡大再生産されてゆくのでしょう。

そのときに私は一つの願いを抱きました。

「このような悪しき家族の繰り返しの歴史を一つでも止めたい。そして一人の子どもでも生きる力を身につける支援をしよう」

 

「子供でも生きる力を2」 へ続く

※ここで紹介した事例については、文意を損なわない配慮をしつつ、個人情報保護の視点から本人を特定できないように詳細を改変しています。