子供でも生きる力を 3

前回コラム「子供に生きる力を」 「子供に生きる力を2」

前回コラムに「食べること」を人一倍大切に考えていると書きました。

そのためデイケアでは屋上で作った土の匂いのする野菜を収穫から料理まで子供たちに体験させたいのです。コンビに弁当やカップラーメンだけを食べていたら本来の野菜の味などもわからないし、食材を作ってくれた人への感謝も生まれないことでしょう。

当初は屋上で収穫されたトマトやキュウリが」サラダにのっても、子供たちの中には「なんだか気持ち悪い」という子もいました。仕方ないと思いました。それでも屋上でとれたものを調理に出し続けました。

新クリニックになって1年ほどたった2011年春。スナップエンドウがたわわに実り、収穫しました。私もその日は診察の間にたまたま時間があり、子供たちにつきあいました。子供たちは収穫したスナップエンドウを湯がいて、いただきますを言うと、先を争うように食べ始めました。みんな「おいしい!おいしい!」と笑顔でした。

それまでクリニックの運営であれこれ頭を痛めてきた私でしたが、その苦労に意味が吹き込まれた思いがしました。

新クリニックでの1年半、なんとか進んでくることができたのも、私の思いを理解してくれる優秀なスタッフたち――臨床心理士、精神保健福祉士、作業療法士、看護師、事務――の力、そして院外の多くの方々のご協力の賜物にほかなりません。これからも一歩一歩、スタッフ一同子供たちとともに育ち、日々の取り組みを地道に続けてゆこうという思いでおります。

 

※ここで紹介した事例については、文意を損なわない配慮をしつつ、個人情報保護の視点から本人を特定できないように詳細を改変しています。

 

子供でも生きる力を2

前回コラムはこちら 「子供に生きる力を」

それまで2002年に魚町にクリニックを開業してからいくつかの喜ばしい成果を上げた事例もありました。

家で暴れる少女がいて困り果てた母親に連れてこられたことがあります。その母親を心理検査したところ精神遅滞で生活技術が乏しく、支援が必要であることが分かったことがありました。この親子は恐らく成長した娘が母親の能力を超えてしまい、母を不甲斐なく感じるようになったのでしょう。そのためホームヘルパーが母親の手伝いをする形でヘルパーサービスを導入しました。ゴミ屋敷もきれいになり、娘も十分な世話を受けられ、母子ともに落ち着いてゆきました。

あるときは、崩壊家庭の中で育児放棄された少女がいました。発育が悪く幼く、不潔な身なりをしていることからいじめの対象になったため、周囲への信頼感が育たず、人の悪態ばかりつく可愛げのない中学生になっていました。この少女には、教育、医療が密な連携をとり、親から離して施設で生活しつつ教育を受ける形を作りました。苦労はしましたが、優秀な成績で大学を卒業し、今や立派な社会人です。

ある男児は両親ともに出会い系やギャンブルに溺れ、ろくなケアを受けていませんでした。母親は夫婦喧嘩をすると子供がいることもおかまいなく「死んでやる!」とわめき、子供の前でリストカットすることもたびたびでした。この男児は健気で気の毒なぐらい親思いでした。この男児にとって唯一あてになる大人である祖父の力をお借りして、やはり施設入所をし、今では信頼できる大人のもとでのびのびと勉強したり友人と遊んだりして、高校進学を果たしました。親についても別の所で治療につなげていますが、子供ほどの芳しい変化はないようです。

さらにもっと多くの子に生きてゆく力をつけさせたいという思いを胸に、2010年7月7日、片野に新クリニックを開業しました。新しいクリニックでは3回に思春期デイケアを始め、4階には屋上庭園を造り野菜を育てています。

私は自分も食いしん坊ですから、食べることを人一倍大切に考えています。丹精込めて育てられた食材を大事に調理して、一人ではなく誰かと美味しく食べることが、我々の生活の基本ではないかと考えています。

 

「子供でも生きる力を3」 へ続く

※ここで紹介した事例については、文意を損なわない配慮をしつつ、個人情報保護の視点から本人を特定できないように詳細を改変しています。