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子供でも生きる力を2

前回コラムはこちら 「子供に生きる力を」

それまで2002年に魚町にクリニックを開業してからいくつかの喜ばしい成果を上げた事例もありました。

家で暴れる少女がいて困り果てた母親に連れてこられたことがあります。その母親を心理検査したところ精神遅滞で生活技術が乏しく、支援が必要であることが分かったことがありました。この親子は恐らく成長した娘が母親の能力を超えてしまい、母を不甲斐なく感じるようになったのでしょう。そのためホームヘルパーが母親の手伝いをする形でヘルパーサービスを導入しました。ゴミ屋敷もきれいになり、娘も十分な世話を受けられ、母子ともに落ち着いてゆきました。

あるときは、崩壊家庭の中で育児放棄された少女がいました。発育が悪く幼く、不潔な身なりをしていることからいじめの対象になったため、周囲への信頼感が育たず、人の悪態ばかりつく可愛げのない中学生になっていました。この少女には、教育、医療が密な連携をとり、親から離して施設で生活しつつ教育を受ける形を作りました。苦労はしましたが、優秀な成績で大学を卒業し、今や立派な社会人です。

ある男児は両親ともに出会い系やギャンブルに溺れ、ろくなケアを受けていませんでした。母親は夫婦喧嘩をすると子供がいることもおかまいなく「死んでやる!」とわめき、子供の前でリストカットすることもたびたびでした。この男児は健気で気の毒なぐらい親思いでした。この男児にとって唯一あてになる大人である祖父の力をお借りして、やはり施設入所をし、今では信頼できる大人のもとでのびのびと勉強したり友人と遊んだりして、高校進学を果たしました。親についても別の所で治療につなげていますが、子供ほどの芳しい変化はないようです。

さらにもっと多くの子に生きてゆく力をつけさせたいという思いを胸に、2010年7月7日、片野に新クリニックを開業しました。新しいクリニックでは3回に思春期デイケアを始め、4階には屋上庭園を造り野菜を育てています。

私は自分も食いしん坊ですから、食べることを人一倍大切に考えています。丹精込めて育てられた食材を大事に調理して、一人ではなく誰かと美味しく食べることが、我々の生活の基本ではないかと考えています。

 

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※ここで紹介した事例については、文意を損なわない配慮をしつつ、個人情報保護の視点から本人を特定できないように詳細を改変しています。

子供でも生きる力を

2006年のある冬の日。私は茫然としていました。

この日、治療活動の一環としてクリニックに通う子供たちを集めて豚汁を作り食事会をしていたのです。子供たちはとても喜び、中には「初めて食べた。こんなにおいしいの食べたことがない」という子までいました。私はその子の家族背景が複雑で、親から十分なお世話をしてもらっていないことを知っていました。その子は困ったような顔をして答えました。「うちにお味噌なんかない。お味噌なんか買ってきたら『役に立たないもん買ってきて!』って叱られる。安いカップラーメンしか買っちゃだめだって」

そんな親たちを「親の資格がない」と批判するのは簡単です。しかし多くのこうしたケースを見ていると、問題は全く違うことにあることが多いのです。こうした親たち自身が知的障害や発達障害で、貧困も絡んで十分な生活技術や社会適応のスキルを学んでいないことが少なくないのです。

もしかしたら一昔前ならば、こうした大人も貧しいながらも地域のコミュニティのなかで、周囲と支え合いつつ、その中で子供たちもケアされていたかもしれません。いまやこうした家族は都市の中で孤立して、親が苦手なこと・できないことがそのまま子供に振り掛かり、そうした子供に継承されていきます。やがてこの子たちも十分スキルが身に付かないまま、安定した就職もできず、望まない妊娠、子育てをし、同じような家族が拡大再生産されてゆくのでしょう。

そのときに私は一つの願いを抱きました。

「このような悪しき家族の繰り返しの歴史を一つでも止めたい。そして一人の子どもでも生きる力を身につける支援をしよう」

 

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※ここで紹介した事例については、文意を損なわない配慮をしつつ、個人情報保護の視点から本人を特定できないように詳細を改変しています。

 

 

よき睡眠について その2

だんだん涼しくなってきて、熱帯夜の寝苦しさはどこかへ行きましたね。
今月も引き続き、睡眠についてのお話をしたいと思います。

私がよく知っている心療内科医が大変面白い視点の本を書いています。
「お酒や薬に頼らない『必ず眠れる』技術」角川SSC 新書
森下克也著

この本の中では、睡眠のメカニズムやうつ病や体の病気による不眠、専門医への受診が必要な睡眠の病気などについてわかりやすく書かれています。

森下氏は、不眠の原因について、とても普遍的な要素について面白い見方をしています。
その一つが「頭の中のつぶやき」です。
眠れない夜、誰もが頭に引っかかることをあれこれ考えますよね。
例えば、、、、

「あの時、なんであんな事言ったんだろう。思い出すと恥ずかしい」
「**さんに言われたあの一言、腹がたって悔しくて仕方ない」
「あんな事してしまって、嫌われたかもしれない」
「これからどうなるんだろう、自分はダメかもしれない」
「今度、こんなことがあったらどうあいつに言い返そうか?今度は言い負かされないぞ」

それは頭の中の終わりのない会議であり、反省会です。
この頭の中のひとりごとが続いていると、脳がどんどん覚醒して目覚めていきます。
こんな時はどれだけ睡眠薬を飲んでも、その効果はしれたものです。

頭の中でこのひとりごとを止めるために、著者は「頭の中で『アーーー』と発声練習のように声を出す」ということを提案しています。
実際には声を出さずに、想像の中で自分が声を出し続けるということです。

頭の中のつぶやきだけでなく、不眠の元になる筋肉の緊張を簡単にほぐす方法、寝る前の読書、寝る前のお風呂、夜食、など興味の尽きない眠りに関する話が、この本の中で紹介されています。

昔から眠れないときは「羊が一匹、羊が二匹、、、」と数えると良いと言われていました。
考えてみれば、この方法も「頭の中の独り言」を止めるための、ひとつの手段だったのでしょう。
私の経験から言えば、「ヒツジ」よりも「頭の中の発声練習」を訓練したほうがずっと楽で、有効です。
他に、「言葉のもぐらたたき」(笑)という方法を試したこともあります。

写真は、不眠に悩むことが全くない、院長の愛猫・金時。

よき睡眠のために

今日、9月3日は、9(く)3(すりー)=ぐっすり、というところからベッドの日、良い睡眠について考える日だそうです。
不眠や睡眠障害で当院を受診する方は多いでしょうが、治療には薬を飲んだりする以前に以下のようなコツがあります。

① 睡眠時間は人それぞれ。日中、眠気で困らなければ、それで十分。夜、眠れるかどうかについて、神経質にならないように…。
② 夜は、刺激物を摂るのは避け、眠る前には自分なりのリラックス法(ぬるめの入浴、軽い読書や音楽、香り、ゆったりしたストレッチ)を試みること。
③ 眠たくなってから床に就くこと。就寝時刻にこだわり過ぎないように。
④ なるべく毎日、同じ時刻に起きること。体内時計のリズムが整えられます。
⑤ 光をうまく利用すること。寝る部屋は、薄暗く、朝起きたら、眩しいくらいの光(太陽であればベスト)を浴びること。
⑥ 規則正しい3度の食事(食べ過ぎないように)と、適度な運動習慣を。
⑦ 昼寝をするなら、15時前の15分?25分ぐらいがベスト。15時過ぎに昼寝してしまうと、夜の睡眠の妨げになってしまいます。
⑧ 眠りが浅いなあと感じる時は、遅寝・早起きにして、むしろ積極的に睡眠時間を削ること。(うつ病などの急性期はこの限りではありません)
⑨ 睡眠中の激しいイビキや呼吸停止、足のぴくつき・むずむず感には、要注意。長く続くようだったら専門家に相談すること。
⑩ 眠っても眠っても眠いことが続くのあれば、専門医に相談すること。
⑪ 睡眠薬代わりの寝酒は不眠のもと。お酒は、眠りの質を低下させ、睡眠前の飲酒は、量の増加につながる恐れも生じます。
⑫ 睡眠薬は、医師の指示で正しく使えば安全です。不必要に恐れないように。
(「睡眠障害の対応と治療ガイドライン」内山真編)
詳しくはこちらをご覧ください ↓
http://www.kaimin.info/part/12/index.html

写真は院長の愛猫・金時です。
昼も夜もよく眠ります。
金時くん、寝過ぎじゃないの?
「だって猫だもん、仕方ないニャー」

イマドキの若いもんは

昔から大人は「今時の若いもんは」と若者に不満を述べてきました。なんと古代エジプトの遺跡にもそうした言葉が刻まれているのですから、昔から大人とはそういうものなのでしょうね。

人間の質が前の時代より悪いものなら、猿の時代が最高で今の若者の方がいちばん「だめな」ことになります。
そんなことがあるはずがありません。
私は時代によって、人間の質が上がったり下がったりすることはないと考えています。

多くの人が価値をおくことは、時代によって変わるものなのです。

今の時代の若者の良い点をあげてみましょう。かっこの中は大人から見て批判しそうな見方です。

・規範を守るため (若いのにとんがってない)
・周りとの調和を保とうとする (ギラギラしてない)
・社会のために何かをしたいという人が多い
・情報の取捨選択が上手
・欲張らない (ハングリーじゃない)

こうやって考えると、今の20代はこどものころからパソコンも携帯もあり、経済成長の鈍化し成熟した世の中に育った人たちのようです。

私たちは育った時代を反映した姿勢で生きているといえます。
今の20代は昔のイケイケの時代の日本に育った中高年から見たら物足りなさを感じるかもしれません。
でもきっとギラギラしていなくても、洗練されて人とのつながりを大事にする世の中を作っていく人たちなんじゃないでしょうか。